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「一割二分五厘の勝率で世の中を生きていくみんなに」パク・ミンギュ『三美スーパースターズ 最後のファンクラブ』

ぼくがこのブログで野球関連の小説に言及するのは2作目で、1冊目は「ユニヴァーサル野球協会」というぶっ飛んだおっさんの妄想野球小説なんだけど、これもまあ滅法面白かった。詳しくは過去に書いたので、そっちを見てもらえれば。

 

nkntkr0.hatenablog.com

 

 

それは置いといて、今回は、またもや韓国作家の小説について語ろうと思う。

パク・ミンギュ『三美スーパースターズ 最後のファンクラブ』について。

この本、最高。青春の香りと韓国現代史とポップさを追求して、ユーモアとセンチメンタルで煮しめたら、たぶんこんな感じ。

ド直球のメッセージは、全盛期の津田恒実のそれだ!読んで、震えろ!

 

三美スーパースターズ 最後のファンクラブ (韓国文学のオクリモノ)

三美スーパースターズ 最後のファンクラブ (韓国文学のオクリモノ)

 

 

三美スーパースターズ 最後のファンクラブ』は、パク・ミンギュのデビュー作なんだけれど、もうすでに彼らしさというのが完成されていて、たとえば、彼の独特の改行によるリズム感の醸し方というのは、クセになるもので、舞城王太郎の句読点のまったくない詰まった文章のように文章にドライブをかける効果を出していて、疾走感だったり逆に、文章と文章の間に一拍置くことで、次の文を読むときにハッとさせる効果を与えている。

 

もうひとつは、彼の眼差しについて。『三美スーパースターズ 最後のファンクラブ』だけでなく、『亡き王女のためのパヴァーヌ』や、『ピンポン』にも共通するテーマなのだけど、彼は(いわゆる)社会の敗者(ルーザー)について書いている。

そして、この本はプロフェッショナル化・競争社会化する韓国社会への違和感や、それに落ちこぼれた「ぼくら」について、また、ぼくらはどうすればよいのかを書いている。

 

答えを先に言ってしまうと、

「打ちにくいボールは打たない、捕りにくいボールは捕らない」

これが、競争社会を生き抜く秘訣だ。それは、三美スーパースターズの野球への姿勢、つまり、

三美は俺たちにとってイエス・キリストたいな存在だ。そして三美は、プロの世界に適応できなかったすべてのアマチュアを代表してあのむごたらしい苦難と迫害を経験したんだ。いまや人々を迫害するのは銃や剣じゃない、プロなんだ! p285

ってな具合に。

 

彼らは韓国プロ野球の中において華々しいほどの、記録と記憶に残るほどの惨敗を喫していき、そして散っていった。

 

改めて言おう。表紙を見てもらえれば分かる通り、これは野球を通した「ぼくら」の物語。あらすじを簡単に記そう。

 

韓国社会が激変する1982年、韓国プロ野球は6球団によって産声をあげる。主人公たちが住む仁川(インチョン)をホームとするのが、三美スーパースターズ。球団結成に沸く仁川市で、主人公もすっかり夢中になってファンクラブに入り優勝を確信し応援していたが、初年度80試合で15勝65敗。蓋を開ければ絶望的なまでの弱小球団。そして、ラッキーパンチはあれど、ほとんどの年で負け続ける。それも、完膚なきまでに。

三美スーパースターズは身売りされ、記憶の彼方に忘れ去られ、時は経つ。大人になった主人公は一流大学を卒業し、有名企業に就職するが、折り悪く経済危機のあおりを受けることになる。リストラまみれの会社で、サバイブできなかった主人公は、中学生の時の友人と再会することになり、いまや誰もが記憶の彼方に追いやってしまった球団、三美スーパースターズのファンクラブを再結成することになり、そこで三美スーパースターズの野球と人生を重ねるのだが……

 

というのが簡単な筋書き。

 

三美スーパースターズは、6球団の中でもべらぼうに弱くて、プロ野球の中において圧倒的最下位である。引用すれば、こんな感じ。

 

プロ野球元年。我らがスーパースターズはまるで、負けるためにこの地上に降り立った敗北の化身のようだった。どのくらいかていうとー今日も負け、明日も負け、二連戦したので一日ゆっくり休むと翌日またもや負けるのだ。……… p69

 

なんだか、球団創設時の我が広島東洋カープを思い出させる負け具合だ。それでも熱烈なファンはいただろうけど、負け続ければスタンドはガラ空き、球団の収入は減り、いい選手がいたかと思えば、年収と優勝できる環境を求めて他球団に移る、だから、また負ける。ああ、負のサイクル。 

 

だから、彼らはプロっていえるのか?

 

プロ野球が誕生したとし、アマチュアとプロは隔たれた。それは好むと好まざるとによらず、社会が「ぼくら」にもプロ化を要請するようになった。小説の中ではこのように書かれている。

 

1【今やプロだけが生き残れるのだ】当時最も人口に膾炙した「プロ福音」第一号。プロになければ多分死んじゃうという、最後通牒の重みを持った福音である。

2【私、プロですから】過去の人生を悔い改め、これからは残業もします休暇も返上します、火花のようにプロ人生を生きていきますという自らの意思をはっきりと告げる、プロ福音第二号。…… p87

プロ福音は第十一号まであるんだけど、どれも皮肉が効いてて最高。そして、社畜の耳に痛い。

 

およそプロの世界で生き残ることができなかった、三美オールスターズ!総プロ化する生き地獄みたいな現代社会を「ぼくら」はどう生きるか?その答えは、冒頭にも記したように、「打ちにくいボールは打たない、捕りにくいボールは捕らない」!

 

そう、プロ化の要請を断り、無理をしない自分らしい(三美スーパースターズらしい)野球をすることでぼくらは生き残ることができる。激烈な競争社会から脱落することではなく、位相を変えることで、やりきっていく。

 

世界は構成されてそこにあるものではなく、自分が構成していくものだったんだ。

 

それに気づいた時、世間的にドロップアウトしようが、オールオーケー、無問題。OK

、余裕。문제 없어요、No hay problema.

 

「一割二分五厘の勝率で世の中を生きていくみんなに」読んでもらいたい本。パク・ミンギュのメッセージ、5月病のみんな、受け取ってよ。