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誰が[ J.Henry waugh ]を笑えるのだろうか[ユニヴァーサル野球協会]

 先日、渋谷のTOHOシネマに「それでも夜は明ける」を見に行った。上映までに時間があったので、紀伊国屋書店に赴いた。目的の本である『黒い時計の旅』は無く、そもそも絶版だというので、意気消沈しながら店内をぶらり彷徨うと、白水Uブックスの棚にたどり着いた。

 そういえば、メタフィクションの名作と聞く、クーヴァー『ユニヴァーサル野球協会』が復刊するらしい、とのことが耳に入ってきたので、おもむろに手に取った。そろそろ野球の季節だな、と徐々に暖かくなる季節に思いを馳せながら購入し、映画館へと向かった。

 

 

ユニヴァーサル野球協会 (白水Uブックス)

 

 

 完全試合達成まであと一人!スタジアムの期待と興奮は頂点に達する―ユニヴァーサル野球協会はヘンリーが考案した野球ゲーム内の架空のリーグだ。試合展開を決めるのはサイコロと各種一覧表。毎夜ゲームを実施し、野球協会の仮想世界に没入するヘンリーだったが、ある日試合中に起きた大事件をきっかけに虚構と現実の境界が崩れ始める。現代の神話を創造するポストモダン野球小説。

 

 邦題『ユニヴァーサル野球協会』、原題を『The Universal Baseball Association,Inc.,

J.Henry Waugh,Prop』 とするこの野球小説。原題と小説のプロットを読み込めば、ある世界が浮かび上がる。主人公ヘンリーの名前は【JHWH】、ヤハウェ、神のアナグラム、そして彼の創り上げる架空のリーグを舞台とする虚構の世界。メタフィクション。そうか、これは創世記の大胆なカリカチュアなのだ。

 

 小説の冒頭は、新人投手、デイモン・ラザーフォードの完全試合達成寸前から始まる。主人公のヘンリーはその投手のまさしく一挙手一投足に固唾をのみ、見守る。7回ラッキーセブンのパフォーマンスを利用して、彼は階下のデリカテッセンパストラミサンドとビールを半ダース購入する。

 時刻は夜11時。息詰まる投手戦にも関わらず。

 野球観戦の経験がある人はまずこの時刻に疑問を持つ。この時間に野球をやっているのはおかしい、と。そう、これは現実にテレビ中継されている贔屓の球団とそれを観戦しているヘンリーの話ではなく、ヘンリーが創造した架空の野球リーグ【ユニヴァーサル野球協会】の話なのだ、と気付かされる。

 サイコロを振り、出た目によって出来事が変化する。三振するか、ヒットを打つか、ホームランをぶっ放すか。ヘンリーはこのゲームを考案し、没入する。

 冒頭は白熱した展開と、完全試合を達成した快挙を見届けた興奮に酔いしれたヘンリーの一夜の祝杯とアバンチュールに身を寄せることを述べる。その描写は野球に関連づけられた下劣なものである。ーつまり、棒と球、ピッチャーとキャッチャー、内角高めに放り込んでバッターをのけぞらせた後は、外角低めにストレートをズバっと投げ込む、ヘンリーのバットにご挨拶、ってな具合に。1968年に上梓されたこの小説。どうやら野球にまつわる下ネタってのは現代も過去も普遍のものらしい。

 

 日常のルーティンとして、ヘンリーは毎夜毎晩、毎日、サイコロを振り続け、架空の打者、投手、監督、球団の全ての成績・記録を取り続ける。そこに偶然と規則を見出す喜びを得る。

 自ら考案したゲームというのは大抵、面白いものだ。なぜならば、自らの想像力を投影し、面白くさせるよう、ルールを作り上げ、偶発性を呼び込むゲーム的な「遊び」を設けるから。しかし、ヘンリーはこのゲームに異様な程にのめり込む。狂気じみた執拗性を以てゲームに望む。シーズンは既に156年度を迎えてしまった。リーグ8チーム、登場人物はとうの昔に数千人以上になってしまった。けれども、彼らの一人一人に特徴があり、伝説があり、名シーンがあり、逸話が残り、派閥があり、経済があり、歌声がある。どう考えても取り憑かれている。ゲームが彼を支配している。ヘンリー自身、この異常さに気付いている。このゲームを見られるのは自慰を見られるのと同義だと。

 そしてこの架空のリーグは、完全試合男、デイモン・ラザーフォードがバッターとして立った時に受けたビーンボールで死亡した時に、神の世界を浸食する。自らが放ったサイコロが英雄デイモンを殺し、その後の世界がにわかに動き出す。デイモンに死に衝撃を受けたヘンリーは、現実世界をうまくやりこなせない。会計士としての仕事は全く身が入らない。遅刻や無断欠勤に始まり、上司との諍いは耐えない。逃げるためか、飲み込まれてしまったか、彼はそれでもサイコロを振る。何のために?

 

 ヘンリーは気付く。自己嫌悪に陥る。もう辞めてしまおう、と。このゲームとそれを記録する全てを燃やしてしまおう、と。しかしそれでも彼はサイコロを振る。

 彼の創造したキャラクターは言う。決定的な一言を。

 「で、先頃ようやくわが輩は結論を得たのだ、つまり、神は存在するが、頭がパァだという結論をな」p350

 ヘンリーの想像力が作り上げたキャラクターは、自分自身をボロクソに言及する。そう、ヘンリーは気付いているのだ。

 

 創造主であるヘンリーはサイコロを振る。現実世界では遂に雇用主から最終宣告をされてしまった。貯金を崩すしか無い。そう、現実世界の神は「頭がパァ」の結果、身を持ち崩す。そして小説世界では、遂にヘンリーは舞台から姿を消す。終章は、虚構の世界であるユニヴァーサル野球協会の面々のひと騒動で幕を閉じる。「頭がパァ」の神はいなくなり、物語がひとりでに踊り出す。神は不在になるが、the show must go on なのだ。

 

 ヘンリーのイタさを、仮想現実に、拡張現実に入れ込む僕らは笑う事が出来ない。現実社会はクソだ。希望なんて無い。絶望的だ。SNSに閉じこもっていよう。ツイッターで笑っていよう。愚痴を言おう。フェイスブックリア充らしく振る舞おう。ネトゲには僕の事を知らないけれど受け入れてくれる人がいる。楽しい。いつの間にか、虚構に飲み込まれていないだろうか。クーヴァーが描き出す物語は、あまりにも現代的だ。

 

 ベースボールというアメリカ的舞台装置・神話を以て、アメリカの歴史、小説の歴史、創世記、神なき時代の現代社会を描き出す本著はまぎれも無く名作。