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東京イーストサイドについて。速水健朗『東京β 更新され続ける都市の物語』

この前のエントリーで、山本周五郎の『季節のない街』を取り上げた。

nkntkr0.hatenablog.com

 

その時には取り上げなかったけど、『季節のない街』の舞台は都市、その中でも横浜や東京イーストサイドをが舞台とされている。特に、映画版『どですかでん』は、江戸川区堀江がロケ地とされている。江戸川区堀江は、昔こんなガレキの街だった。今はもう、見る影がない。これは、大阪の西成や、兵庫の長田には見ることのできない光景だ。

 

東京βとはこんな本。

 

『東京β 更新され続ける都市の物語』(以下、東京β)で主に書かれているのは東京イーストサイドについて。つまり、江東区江戸川区墨田区葛飾区、荒川区、足立区。おそらく、東京に住んだことがない人にとっては馴染みのない舞台じゃないんだろうか。

 

東京βとは、こんな本だ。

 

湾岸再開発、観光都市化、2020年東京オリンピック……
大激変の全貌、最新版

フィクションから〝東京の変化〟を探る、画期的都市論!


東京の街は、常にその姿を変化させている。東京の街角に何か新しい建築物ができたなと気がつくことがあっても、かつてそこが何だったのかは、もう思い出せはしない。そんなことはあまりに当たり前になりすぎていて、誰も思い出そうとすら考えないのだ。東京とは、そんな街である。 その意味を込めて本書のタイトルは、『東京β』とした。永遠に完成しないという意味合いを含めてβと命名することがITの世界で流行ったのは少し前のことだ。完成せずに更新し続ける街をテーマにした都市論であることを示すのにふさわしい題名だと思ったからだ。(本文より)

 

 

東京β: 更新され続ける都市の物語 (単行本)
 

 

この本は主にフィクションから東京とは何かを探っていく意欲作。特に、豊洲有明、晴海などの湾岸部や、堀切、千住、浅草などの東京イーストサイドを主に描いた作品で、映画やアニメなどを中心としたフィクションから、東京の変遷を描いてく。2016年に上梓されたことを考えて今(2018年に)読むと、いくばくかすこし「なんとなく」違うな…と思ってしまうのは、東京という都市の進むスピードが尋常じゃないことを示唆しているものではないだろうか。つまり、東京という都市は、2年という時間の間に、他の地方都市が進むスピードよりも圧倒的に早く進んでいて、その変化というものは1年見なければ全く違うものになってしまっている。

 

東京というところの畏怖すべきところは、その変化にある。昨日まであったものが、今日なく、明日には何かに生まれ変わる可能性を秘めている。その拡張性、変革性が逃去にはある。その変遷を、フィクションを通じて描かれている。

 

ぼくが見た東京(高田馬場、そしてイーストサイド)

おおよそ9年前、ぼくは東京の新宿区高田馬場に住んでいた。今も、学生街ということには変わりないが、そこには大きく変わったことがあって、例えばいつの間にか高級スーパーの代名詞である成城石井ができていて、小綺麗になっていた。高田馬場という学生街がムクムクと生まれ変わることが、すこし珍妙に感じる。高田馬場といえば、学生街、松竹、ラーメン、コットンクラブ、安居酒屋。そのイメージは変わることなく、その付随的なものはどんどん変わっていく。キーコンテンツは変わらないかもしれないが、生活の舞台はどんどん変わっていく。いつの間にか、このキーコンテンツを飲み込むかもしれない。そんなことが、東京にはある。

 

他にも、東京イーストサイドで言えば、押上、業平橋はいつの間にか東京スカイツリーができて、外国人も目を見張る一大観光スポットに変化した。家賃はおそらく3〜4万円ほど上がっただろう。今度は、周辺の付随的なものごとは変わらないと思いながら、キーコンテンツがガラッと変わってしまった。東京イーストサイドを洗練されたものとして扱う象徴の東京スカイツリー。下町と都市というごちゃ混ぜ感は実はなく、大部分は都市そのものとしてスカイツリーは扱われ、それに伴い、スカイツリーはその名前で東京イーストサイドの象徴となってしまった。それも、電波塔というイメージが先んじたものだろうか。

 

東京スカイツリー墨田区にあって、そこから歩いて台東区浅草に行ける。ぐっと下町なんだけど、そこには観光スポットというイメージだけでなく、スカイツリーという電波塔、日本最高ということからなんだか、日本全体の最先端を提示するようなイメージが湧いてくる。東京イーストサイド、10年前ではまったく予期せぬ躍進じゃあないか?ここに、東京という都市の面白さがある。

 

東京は、先ほども書いたけど、1年間離れてしまえば、懐かしさよりも変化が際立つ。そこには、一種の寂寥感もあれば、これこそが東京だ!!というワクワク感もある。ぼくらが東京に魅せられるのは、そんな変化や拡張性が故なのだろう。

 

『東京β』の拡張性について

『東京β』は主として湾岸部や東京イーストサイドについて書かれた。すこしだけ服都心ということで、新宿について書かれたけど、いささか物足りないことがある。例えば、東京西多摩エリアについてはまったく書かれていない。フィクションの東京ウエストサイドといえば、スタジオジブリだ。『耳をすませば』や『平成狸合戦ぽんぽこ』など、東京ウエストサイドはどちらかというと、中流階級を描いてきた。大阪でいう江坂的な、中流階級の文脈で東京ウエストサイドは描かれてきたけど、これを速水健朗はどのように料理するかが見ものである。そういえば、赤羽を描いた清野とおる東京都北区赤羽』もそうだけど、東京/埼玉の区切りを描く書物はないものかね。