『いだてん』と交響曲第9番。苦悩を突き抜けて歓喜に至れ!
2019年大河ドラマ『いだてん』が最終回を迎えた。視聴率の低下、イデオロギーの対立による毀誉褒貶、キャストの途中降板など、ある意味では話題に事欠かなかった今作であったが、終わってみればこれ以上ないくらい素晴らしい大河ドラマだった。おおよそ、大河ドラマのあるべき姿≒ある英雄の生涯を描くといった構成から離れ、三人の主人公、金栗四三、田畑政治、古今亭志ん生が歩んだ明治~昭和といった近現代史をスポーツと落語を通して描く意欲作で、ぼくはもう日曜日の夜がサザエさんシンドロームも何のその、楽しみで仕方なかった。
『いだてん』の作品のすばらしさについては、もう様々な人々が解説しているので、せっかくだからぼくは少し斜め横(妄想が多分に含むのだけど)からの角度でこの作品について語ろうと思う。そこで今回目を付けたのが、最終回のタイトル「時間よ止まれ」だ。
このタイトルを見てパッと思い浮かぶのがドイツの文豪ゲーテの作品『ファウスト』。『いだてん』のタイトルはすべて古今東西の文学や映画、音楽などに由来しているのは周知のとおり。このタイトルの元ネタの『ファウスト』でもとりわけ有名な一節で、悪魔メフィストフェレスと契約を結んだファウストの死に寄せて、メフィストフェレスが人々の幸福のために貢献できた喜びの言葉である。
文章を正確に引用すれば、「時間よ止まれ、そなたは美しい」という言葉で、つまり、人生のうちで最も素晴らしいこの今この時が永久に続いてほしいという願いである。
『ファウスト』のあらすじを書くとなると、本稿が膨大なものになってしまうので割愛するとして、もう少し俯瞰的に、当時のゲーテの交友関係を考えてみると、これもまた有名すぎるほど有名な作曲家ベートーヴェンと、同じく文豪として時には切磋琢磨し励ましあった作家シラーが思い浮かぶ。
ぼくが言及したいのは、このことで、今回の表題にもある交響曲第9番に立ち戻ってくる。Twitterでも書いたのだけれど、このゲーテ、シラー、ベートーヴェンはそのまま金栗四三、田畑政治、古今亭志ん生に当てはまるのだ。というと、かなり無理やりすぎるが…
とはいえ、宮藤官九郎のことなのでいろいろと勘ぐってしまうには仕方がない。オリンピックに魂を捧げた金栗四三と田畑政治、落語に生涯を捧げた古今亭志ん生の物語。これがゲーテのファウストではなくて何なのだろうか。人生の最上の時を迎えた時にファウストが発する言葉、「時間よ止まれ、そなたは美しい」口にすれば魂を奪われるのだが、これがいだてんの最終回、クライマックスにふさわしい言葉ではなくて、何なのか。
そして、ゲーテと交友のあったシラーの「歓喜に寄せて」という詩もまた、ベートーヴェンの交響曲第9番第4楽章に合唱付きの詩として抜粋されている。さらに、この詩にはベートーヴェン自身も作詞を加えている。引用してみよう。
おお友よ、このような旋律ではない!
もっと心地よいものを歌おうではないか
もっと喜びに満ち溢れるものを(中略)
抱き合おう、もろびとよ!
この口づけを全世界に!
兄弟よ、この星空の上に
聖なる父が住みたもうはず(出典:Wikipedia歓喜の歌)
詩の意味も、これもまた平和の祭典というオリンピックにふさわしい内容である。さらに、交響曲第9番は、4楽章の構成である。全体を通して、第4楽章の主題をところどころに感じさせながらも、不穏な響きも随時挿入される。『いだてん』でいえば、初回のタイトル『夜明け前』からの流れを想起してもらえればよいのではないだろうか。そこには当然、戦争や愛する人の死、挫折といったモチーフも顔を出す。
クドカンがもっと書きたかったという『懐かしの満州』のように戦争といった文化文明、庶民の生活を破壊する一大事からの復興といったように、不死鳥のように苦悩を突き抜けて、オリンピックという平和の祭典に市井の人々が歓喜する。
ストックホルムオリンピックの途中で行方不明になった金栗四三も、オリンピック事務総長を解任された田畑政治も、なめくじ長屋で貧乏の限りを尽くし酒におぼれて満州で死の淵をさまよった古今亭志ん生も、苦悩を突き抜けて歓喜に至った。
田畑政治の「俺のオリンピック」が、「みんなのオリンピック」に変わった瞬間こそ、時間よ止まれ!と思ったように。金栗四三が54年8か月6日5時間32分20秒3という記録でストックホルムオリンピックを完走し、この間に孫が10人で来たように。古今亭志ん生が半身不随になりながらも高座に復帰したように。皆が皆、苦悩を突き抜けて、この瞬間の歓喜に至る道筋を描いて大団円へと突き進んでいった。それはまるで、交響曲第9番の第4楽章のクライマックスのように、最終的にはこれ以上ない開放的な和音で締めくくられた大河ドラマだった。
最後に、志ん生の富久は絶品だというように、クドカンの『いだてん』も絶品であるということは、異論がないのではないだろうか。
おしまい。