知識で殴れ!言語で世界を○○しろ!/ローラン・ビネ『言語の七番目の機能』
年初に今年はいろいろと書いていきたいよねと述べたもののダビスタswitchとか競馬の予想とかでなかなか筆を執る機会をつくらずにおりました。久しぶりに書こうかね。
ということで、今回はローラン・ビネ『言語の七番目の機能』です。ローラン・ビネについては以前『HHhH』について書いたエントリがあります。もう7年前のエントリですか。
歴史叙述の困難を物語るメタフィクションーローラン・ビネ『HHhH プラハ、1942年』ー - なんかいいことおまへんか!! (hatenablog.com)
ローラン・ビネ、『HHhH』でも唸ったけど小説としては一癖も二癖もある作品を書き上げる作家ですね。今回の『言語の七番目の機能』なんて記号学と80年代前後に生きた学者がめちゃくちゃ出る作品ですから、割ととっつきにくいイメージがあるかも。
さて本書、学生時代は文学部で歴史学専攻してた自分ですが、記号学とか言語学とかは一般教養+αの知識があるかないかくらいなので正直ロラン・バルトなんて読んでないし大丈夫か、と思いながら読み進めました。途中、「言語論的転回」とか歴史学専攻には馴染みのある言葉もこの小説には出てきます。それはさておき、うん、やはりエンターテイメント的にはすこぶる楽しめたけど、これはもう少し自分自身にレベルアップが必要だなというのが感想ですね。そういった意味では向学心をくすぐる一冊だと思います。
導入が長くなったけど、だいたいこんな話。
大統領候補ミッテランとの会食直後、交通事故で死亡した哲学者、記号学者ロラン・バルト。彼の手許からはある文書が消えていた。これは単なる事故ではない!誰がバルトを殺したのか?捜査にあたるバイヤール警視と若き記号学者シモン。この二人以外の主要登場人物のほぼすべてが実在の人物たち。フーコー、デリダ、エーコ、クリステヴァ、ソレルス、アルチュセール、ドゥルーズ、ガタリ、ギベール、ミッテラン……という綺羅星のごとき人々。謎の秘密クラブ〈ロゴス・クラブ〉とは? フィクションと真実について、言葉の持つ力への愛を描く傑作! 訳者あとがき=高橋啓
本書、ある意味では若い言語学者と壮健な警察官のバディもの(シャーロック・ホームズとワトソン的な)だし、消えた文書を探すミステリものだし、実在の人物(フーコー、デリダ、エーコとかめっちゃ出てくる)がめちゃくちゃに描かれてるし(よく訴訟されなかったね)、やたらめったら小難しい言葉が出てくる衒学小説でもあり、ファイト・クラブよろしくタイマンでの言葉バトルを繰り出す知の格闘小説といったいろんな要素を詰め込んだ小説。
なので、書評も一筋縄にはいかねえ、といったところが正直な感想です。というか、自分は本当にこの小説を理解できているのか、という気持ち。試されてる感ある。
いや、めちゃくちゃに面白いんですよ。でも、実在の学者や政治家が出てくる小説なので、その予備知識があればもっと楽しめたんだろうな、と。
※いろいろな理論とか小難しい言葉は一般人代表のバイヤール警視と学者シモンのやり取りによって解説されますのでご安心を。
たとえば、言語の七番目の機能ということは言語の1~7の機能について言及するのが予想される。じゃあその意味するところは、というとヤコブソンというロシアの言語学者が提唱した「言語の六つの機能」を下敷きにしている、ということを知っておいた方が楽しめるし、フーコーが性的にめちゃくちゃやってんな!ということも知っておくと、ああなるほどね、とニヤリとなるし、ウンベルト・エーコめちゃくちゃすげえな!!!!というのも、もしかしたらエーコの著作を読んでおいた方が数倍楽しめるかもしれない。他にもパラノイアとスキゾイドとかあるいは80年代のフランスの政治とかも軽く触れておくといいのかもしれない。だってミッテランとかシラク(志らくに変換された)とかは世界史の中の人物なので。
だからなのか。帯にも書いてあるように著者が「エーコ+『ファイト・クラブ』を書きたかった」と述べているんですかね。膨大な知識を詰め込んだ小説。
そうそう、先ほど軽く触れましたが『言語の七番目の機能』には<ロゴス・クラブ>という「ファイト・クラブ」をなぞった知の格闘技が出てきます。この舞台設定が非常によい。ある一つのテーマを肯定する立場/否定する立場に分かれて論じる2人がその優劣を競うのだけど、負けたらめちゃくちゃ悲惨。ある意味では「ファイト・クラブ」の敗者よりも身体に深い痛手を負っている可能性ある。なので、本当に知で知を洗うバトルが繰り広げられていて、その描写と知的な要素に唸ってしまった。
あとは読み進めて思ったのは言語の七番目の機能とは何かといえば、伊藤計劃『虐殺器官』に出てくるアレかというのが思い浮かびました。これは日本のSF好きならではの特権かもしれません。これ以上書くとどちらのネタバレにもつながるので割愛します。
最後に、ローラン・ビネは『HHhH』でもそうであったように、「小説」という枠組みを存分に活かした展開が特徴的。たとえば、
小説は夢ではない。小説の中で死ぬことだってあるのだ。とはいえ、ふつうなら、主人公が殺されてしまうことはない。ただし、時と場合によって、物語の終わりで死ぬことはあるとしても。
でも、これが物語の終わりじゃないって、どうしてわかる?自分がいま、人生のどのページにいるなんて、どうしてわかる?人生の最後のページまで来たことをどうして知ることができる? p375
なんて具合に。これは主人公の一人、シモンの独白なのだけど、彼は小説の中で創作された人物で、これを小説の主人公に言わせるのかね、というところが彼の小説の面白さなんじゃないかと。他にも、主人公シモンの一人称と作者の視点が絡みあうところがあったり、複雑な構成も見事。
小説ってここまで構成が練られているものだと実感するには最適な一冊だと思います。あと、少しだけ頭が良くなった感得られるかも。GWのおともにぜひ。